製作費60億円の大作。日本企業が負担
映画「ウインズ」の総製作費は60億円だった。当時としては破格の予算である。日本ヘラルド映画、三洋ファイナンス、テンポラリーセンターなど8社が出資した。つまり、日本企業が資金面で山本氏をバックアップした。
豪フリーマントル、米ユタ州、ハワイなどのロケ地に11隻のヨットを用意した。そのヨットの保守運営費だけで総製作費の6分の1の10億円を費やした。
バブルで日本人は金持ち
日本のバブル景気は、既に1990年、1991年ごろに終焉していた。しかし、1992年の時点では、世界的にみて、日本人は金持ちが多かった。
「お金を出して、口も出す」
プロデューサーの山本氏は、自ら撮影現場で陣頭指揮にあたった。「日本人はお金だけ出すが、人は出さない」というハリウッドの通説を打ち破った。
コッポラを総指揮に起用
製作総指揮に「ゴッドファーザー」のフランシス・F・コッポラ氏を迎えた。山本氏は「スターを使うと高くつくので、才能のある若い人を使いたかった。それには、顔の広いコッポラ監督が最適で、お願いした」と語っていた。
海の「トップガン」
山本プロデューサーが、この映画製作を思いついたのは、1987年のアメリカズカップをNHKテレビで見ていて、「これは、海の『トップガン』になるぞ」と考えたからだ。
全米980の映画館で公開
全米配給したのは、大手映画会社のトライスター社(本社ロサンゼルス、マイク・メタボイ会長)だった。ソニー・ピクチャーズ(コロンビア)系列の映画会社である。
トライスターは、買収した山本又一郎氏が経営するフィルムインクインターナショナル社から配給権を取得した。トライスター社は10億円の宣伝費を投じた。全米980の映画館で一斉公開した。
最終編集権は日本側に
日本では日本ヘラルドが配給した。
ハリウッドのスタッフが製作にあたっているが、実際の最終編集権は日本側にあった。このため、日本ヘラルドは「あくまでも日本映画。邦画が国際市場に打って出る第一歩だ」と強調した。
世界最軽量35ミリカメラ
山本又一郎プロデューサーは撮影現場で、世界最軽量の35ミリカメラATTON(アトゥーン)で、1対1のヨットのバトルを追いかけた。5キロという重量は普通のカメラの8分の1だった。
山本氏は、フランスからこの約600万円の“最新兵器”を3機取り寄せた。「一般の人が考えるヨットレースの映画ではなく、ヨットで殺し合う人間のドラマを撮影するには、これぐらいの武器は必要」と語った。
コッポラ氏らと撮影の4年前からこの作品を計画していたという。
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